蒲郡クラシックホテルの歴史
1912 明治45年 滝信四郎が常磐館を開業
1934 昭和 9年 蒲郡ホテル完成(リゾートホテル建設のため大蔵省30万円、常磐館の経営でもあった名古屋の織物商・滝信四郎氏の寄付金10万円、合わせて40万円の資金で昭和7年に着工、設計は元鉄道省の建築家久野節氏と村瀬国之助技師、施工は大林組)、鉄道省より第1回国際観光ホテルに指定される(2月)
  昭和10年 三谷町丘上に子安弘法大師立像を滝信四郎氏個人にて建築寄付(完成は昭和13年)
  昭和12年 竹島海岸に竹島館(大衆旅館)を新築、蒲郡町へ寄付する。蒲郡町は滝氏の助言もあって五井山一帯の一大観光地を建設準備し、ロープウェイの設計を完了したところ日華事変おこり中止(7月)
  昭和13年 滝信四郎氏死亡、享年72歳(11月)、綿花配給切符判実施、国家総動員法公布。
  昭和14年 第2次世界大戦が始まる。
1941 昭和16年 三河大島のナメクジウオが国の天然記念物に指定。太平洋戦争開戦(12月)
  昭和19年 常磐館、蒲郡ホテル、緑別館(のちの緑西閣)、共楽館、竹島館を日本陸軍病院に提供、営業中止する。
  昭和20年 三河大地震発生、形原の被害大(1月)、終戦(8月)
1951 昭和26年 三河大島米軍より接収解除(4月)、蒲郡ホテル国際観光ホテル整備法による登録ホテルに指定、ホ第46号(8月)
  昭和27年 5月31日をもって全館接収解除される。
  昭和28年 蒲郡に大雪、ホテル全域に一大景観(1月)、台風13号により蒲郡地区被害大、多大の損失をうける(9月)
  昭和29年 蒲郡市制(三谷町、塩津村を合併)なる。
  昭和30年 皇太子殿下、蒲郡ホテルにみえる(3月)、蒲郡競艇の初開催。
  昭和31年 清宮さま、蒲郡ホテルへ(10月)、東海道本線の電化完成、竹島水族館開館。
  昭和32年 天皇皇后両陛下、蒲郡ホテルに2泊される(4月)
  昭和33年 義宮さま、蒲郡ホテルへ。三河湾国定公園に指定される(3月)
  昭和34年 伊勢湾台風により被害多大、ホテル屋根銅版、常磐館離れ客室(菊別館)は倒壊、全館共1ヵ月有余休養し復旧工事を開始(9月)、離れ客室鉄筋に新築、8室冷暖房完備、防火施設なる。
1961 昭和36年 総支配人の三村三時氏蒲郡市民病院にて病死、勲六等に叙せられる(9月)、消費ブーム、レジャーブーム起こる。
  昭和39年 東京オリンピック大会開催後、景気後退(10月)、東海道新幹線開通。
  昭和40年 蒲郡ホテル地下室酒場ホール、事務所を改造し結婚式場を兼ねたアゼリアホール完成する。
  昭和41年 名古屋財界との間で蒲郡ホテル資本強化について折衡、不調に終わる。共楽館廃業(8月)
  昭和44年 タキヒヨー(株)、当社株式を取得、大株主となる(6月)、いざなぎ景気。
1970 昭和45年 日本万国博覧会開催、外国客の来蒲少なし。竹島アサリ全滅、三河湾魚類全滅公害問題発生。
  昭和47年 竹島館、廃業する(蒲郡市へ竹島館と竹島遊園地を返還する)沖縄復帰、日中国交正常化なる。
  昭和48年 中東戦争により石油ショックをうけ、石油不足、狂乱物価、異常インフレ起る。常務取締役小栗浩氏、豊橋市民病院にて病死(12月)
  昭和50年 (株)常磐館の社名を(株)蒲郡ホテルに変更登記する(3月)、ブライダルフェアを開催し、婚礼作業開始(9月)
  昭和51年 共楽館、一部を残し取り壊す。ロッキード疑獄事件。
  昭和53年 蒲郡市民会館内サンポート食堂から撤収廃棄(4月)、戦後最大の不況到来。
  昭和54年 代表取締役鵜飼育三氏(タキヒヨー(株))辞任し、後任に浅井正雄氏(東海銀行より出向)就任。蒲郡おみやげセンター休業(8月)
1980 昭和55年 2月8日午後、専務よりホテルが3月31日をもって廃業する旨通知され、蒲郡市へ売却されることになる。NHKテレビで放映、廃業発表後、蒲郡ホテル、常磐館、緑西閣は開業以来の最多忙を極める(2月9日~3月31日)蒲郡市へすべての事務手続きを完了し引き渡す(8月)売却代金19億5000万円。
  昭和62年 蒲郡市より国土計画株式会社(現株式会社プリンスホテル)へ売却。同社は改装費含めて、約18億を投じ蒲郡プリンスホテルとして営業を再開する(8月4日)
2012 平成24年 前身である常磐館の創業から100周年という記念すべき年に、呉竹荘グループが事業継承。ホテル名を蒲郡プリンスホテルから蒲郡クラシックホテルに改称(3月30日)
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